あんたが書けばいいじゃない

 

 笑いながら森田雄三さんはいった、わたしたちには台本がなかった、仕事のない俳優が三人、三十前の、今思えば若者だ、

 

 何かやろうよ

 やろう

 やろう

 でも何やる

 台本探さないとね、やるって劇でしょ

 劇劇

 なら台本

 

 それがなかった、台本がなきゃ劇なんてやれないと思っていた、そのわりには見つける労力も大してかけない、かけ方を知らない、怠慢怠惰、その自覚も、ない、そこへ森田雄三さんはそういった

 

 台本ないならあんたが書けばいいじゃない

 

    父の精子と母の卵子が出会いわたしはこの世に来た、

 しかしそれを「わたし」とはいわない、

 わたし以前の、わたしが「わたし」になる前の、装置、精密だけれど、ただの、肉、自動的に動く、肉

 

 おそらくわたしたちは「わたし」になるために生きる、

 好むと好まざるにかかわらず、そういう世界に生きている、

 それは年々複雑で、ほら穴に住んでいた頃とはもう違う、非常に難解で厄介な、不憫な、生きもの

 そうして不憫に生きる人間に、

 神、天使、奇跡、天啓、

 なんでもいい、ときおりそのようなものが、場面が、くる、出会いとして、くる

 ただ息を吸い、吐き、飯を食い、生殖しようとする肉ではないのだ、それだけの生きものではないのだ、面倒臭いけれどそうなのだ、

 わたしが「わたし」になり、肉が「わたし」となる瞬間

 

 イエスはそれをもしかしたら神と呼んだ

 

 この書き方は誤解を招くのか、宗教めいたものへの拒否感、

 しかしオウムが現れてからもう三十年近く、そろそろかまわない、もういいでしょ、

 国家に今また道徳だなんていわせて、大事な空白を子どもたちが埋められてしまう前に、気がつき、肝心を「肝心」といい切るのは、大人の使命だ

 

 わたしは去年大きな手術をした、

 死ぬよ

 といわれた、

 死なずに済んだ、これはたまたまおとずれた機会だ、

 わたしは死はさほど恐ろしいものではないことを知った、痛みと消耗は、生への執着を簡単に剥ぎ取ってくれる、大変に楽なものなのだ、簡単に死ねると思った、そう思う自分に驚きつつ、ひとつ肩の荷はおりた、

 死ぬこと自体はこわくない

 こわいのは、人にされたこともわからずに、神や天使や天啓と昔の人が呼んだ、人間の世界にはあるもの、唯一尊いもの、の意味も、知らずに死んでいくこと、残念なまま死んでいくこと

 

 生きてきた時間をこれまでとは違う視点で思い返した、そりゃそうだ、突然

 死ぬよ

 と死の権威者に宣告されたのだ

 病院の、ベッドの上に寝転んで、点滴される腕の不自由に、裂かれた腹の痛みに舌打ちしながら考えた

 わたしたちは、どうやら数度の転機で生きている、しかしそれは片手で数えられるほどの転機、片手にも足りないかもしれない、そんな程度の、数少ない、転機、

 そして死はなんら恐ろしいものではない、

 これまで生まれて死んだ膨大な人びとの、たまたま先端に私たちはいるだけで、数でいえば、人間はほとんどが死者だ、生きているものは稀な状態だ、間もなく、私たちもその膨大の海にのまれて、消える、

 みなさん、消えますよ、消えて何十年も経てば、あなたが生きていたその時間、生きている間に起きた様々なあれこれは、後の人びとは、誰も、知らない、絶対に知らない、

 現に今、かつて生きた膨大な人間の人生を、わたしたちは、知らない

 

 台本ないならあんたが書けばいいじゃない

 

 あれは天啓だった

 

 あの時からわたしは書きはじめた、肉が言葉を使いはじめた、もちろんそれまでだって言葉を口にして生きてきた、しかしそれはすべて外からの口移し、口移された自覚もなく、あたかも自律的に不自由なく駆使しているつもりでいた、

 書く、ということはそのことを知らしめられる行為だ、少なくともわたしはそう理解した、書く、ということは、書けない、ということを自覚せざるを得ない作業、

 そんな厄介を、しかし生涯かけて遊べるおもちゃを、森田さんはその瞬間、言葉にして、わたしに投げた、投げてくれた、みんなに投げた、かかわるすべての人に、分け隔てなく、あの人は、投げた

 

 わたしは、だからまずは非常に個人的に、森田雄三さんの、わたしなりに理解した思い、そして雄三さんと共に、身を粉にして献身してきた森田清子さんの思い、を、森田雄三さんの死で決して終わらせてはならないと思った

 

 昔の言葉でいえば、恩返し、だ

 受けた恩は、全力で返して死ぬんだ

 

 全国にたくさんいるのだと思う、いつまでもあってほしい、自分が行く時には前のようにあってほしい、あの場があったから日々の日常の過酷をうっちゃってこれたんだ、地獄のような日常を笑ってくれるあの場があったから生きてこれたんだ、という人びとが、

 しかしまだあの場をよく知る人たちの多くは、あの場がなくなるかもしれない、という非常に具体的な現実はご存知ない

 かつて森田オフィスと呼ばれた、今、楽ちん堂、と名を変えたあの川べりの小さな場所は、存続の危機にある、今年の夏が限界かという話も出た、夏なんて後何ヶ月か先だ、

 

 風前の灯火

 

 毎年正月になると全国からお金がないから旅行になんて行けない、そんな人たちの旅費まで出して、雄三さん清子さんはみんなを

 おいで

 と呼び、集わせて、実家だと思えばいいんだ、みんなでご飯を作って食べようよ、ゴールデンウィークも、夏休みも、二人はそうしてきた、会ったこともねぇ天皇や皇后を見て、ご苦労様でした、なんていうくせに、あれらを食わせるために高い税金を払いながら、近くの、直接助けてくれた人たちには、知らないから、それを向けない、

 知らないから向けようがない

 

 数週間前、パリで大聖堂が燃えた時、パリの人びとがほんとうに悲しみにくれるのを、遠い島国のわたしたちは、他人事のように見た、何がそこまであれだけの人を、たかが建物が燃えたくらいで悲しませるのか、あれが、わたしたちにはどうやらもうわからなくなっている、

 楽ちん堂が風前の灯火なのは、それらがわからなくなってしまった、私たちの、迂闊、だ

 消えた人びとの気配が、あの大聖堂にあると、パリの人びとは信じている、いずれそこへわたしたちの気配も宿ると信じている、希望なのだ、その象徴なのだ、嘘かほんとうなんてどうでもいい、カトリック、プロテスタント、どうでもいい、そんなことは知らねぇ、死んだら無だよと自然科学を鎧と信じ嘲笑する人はすればいい、あれらに宇宙の外は語れない、目の前の大事な人の痛みに気がつけない、数字で出せという、そんなものを知性とは呼ばない、微かな気配こそを、希望、といえるのが知性で、それこそが人間には必要なのだ

 

 教会

 

 ここは、教会だ

 

 ゴロンプロジェクトと名付けられた企画がスタートした

 全国にいるであろうたくさんの、これまで森田雄三氏とかかわってこられた方たち、その方たちに、これは向けられたものである、

 はじめて楽ちん堂は

 

 助けてくださいませんか

 

 と問いかけている、これは楽ちん堂の、比喩ではなく最後の、そして希望を込めての始まりでもある

 

 わたしたちはもし皆様の思いで維持されるならば、全身全霊をかけて、創作の核心に向かう、

 荷は重い、少なくともわたしには森田雄三にあった山ほどの人徳が、ない、誰にもない、

 わたしたちにあるのは、なけなしを使って、奮闘は、する、という思いだけだ、

 ブルース・ブラザースという映画が昔あった、自分が育った孤児院をろくでなしがなんとか維持させようとバンドを組んで奮闘するドタバタのコメディ映画、最後はまた捕まり刑務所の中で歌い、踊る、あんなものだと理解してくだされは、そんなに間違いではない

 

 僭越だとは重々承知の上で

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